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高松家庭裁判所 昭和50年(少)198号 決定

少年 Z・T予(昭三二・四・二〇生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は、戸籍上Z・M(当時四九年)を父としZ・E子(当時五〇年)を母とし、両名のもとで育てられたが、父Z・Mは実父ではなく、そればかりか、同人においては、生来怠け者でZ・E子に対し些細なことに激怒して殴る蹴る等の乱暴を加えるのを常とし、少年に対して、昭和四九年八月中旬ころ無理矢理に肉体関係を強いたのを初めとして度々性的いたずらを強いるようになり、とりわけ同五〇年三月二〇日ころからは実母Z・E子に対する乱暴も激しさを増したばかりでなく、少年に対しても一層強い性的関心を示し、三月二〇日及び三月二六日に重ねて肉体関係を強いるに及んだため、燠悩苦悶の日を重ねていたものであるが、三月二九日午前一一時ころ、香川県綾歌郡○○町○○○××××番地×、自宅三畳間において、いきなり父Z・Mに強いて肉体関係を遂げられ、ようやく北に隣接する土間に逃げこんだが、かねてからの同人に対する憎悪感、少年及び実母Z・E子の将来に対する不安等が爆発し、とつさに同人を殺害しようと決意して、傍にあつた木割り斧(全長一メートル、重量三・七六キログラム)を両手にもつて、三畳間でうつ伏せになつていた同人の後頭部を二回殴打し、付近にあつたストッキングを同人の頸部に巻きつけその両端を引張つて締めつけ、よつて、そのころ同所において、同人を後頭部陥没骨折、頭蓋底骨折、脳挫滅のため死亡するに至らしめたものである。

(適条)

刑法第一九九条

(中等少年院に送致した理由)

一  動機及び家庭環境

少年は、Z・E子と婚姻外の某男との間の子として出生したが、同女とZ・Mの合意の上で戸籍上は両名の嫡出子として届けられ、両名の手によつて一人娘として養育されてきた。父Z・Mは、怠け者で仕事に熱意なく、また何かと言つては実母Z・E子に対し雑言を浴びせ殴る蹴る物を投げつける等の乱暴をしばしば加え、また近所の老女に対して強姦致傷事件を起すなどその性行は粗暴であつたが、実母Z・E子は、この虐待を忍びつつ、家計維持の必要から、職種を選ばず日夜仕事に精励していたが、ために家庭に対する関心は疎かになりがちであつた。少年は、このような家庭にあつて父母の暖かさを感じることもなく、また家庭が父Z・Mの粗暴な性行のため地域社会から孤立していたことから遊び友達も少なく、暗く落着かない幼少年期を過し、更に小学校五、六年時に父Z・Mから同人が実父ではないことを聞き知るに及んで心が動揺し、また同人の変らぬ粗暴な言動に心を痛めるようになつていたのであるが、さしたる問題行動もなく、大学に進学して教師になることを夢見ながら高校の第一学年を終了した。

ところが少年は、高校二年時の夏休み中である昭和四九年八月中旬、実母Z・E子及び同居人○木○(当時四八年、工員、昭和四七年六月ころから実母Z・E子の鉄工下請の片腕として雇用され通勤の便宜から同居するにいたつたもの)が仕事で留守の間に自宅内において父Z・Mから無理矢理肉体関係を強いられ、その後も昭和五〇年一月ころまでに合計五回にわたつて肉体関係を挑まれるに及び、強い衝撃を受けて学習にも身が入らなくなり、独り思案に暮れて実母Z・E子に対し少年と共に家を出ることを求めるようになつた。ところが、少年が友人にも実母Z・E子にも真実を打明けなかつたため、実母Z・E子においては少年の悩みの真因を察知できず、実母の苦労を少年が慮つてのことと誤信し、仕事上の都合、金銭的負担の増大等を理由に少年の度重なる申し出でを拒否しつづけ、このため、少年は独り悩みを深めていつた。

父Z・Mは、一方、昭和五〇年二月中旬ころから胃潰瘍治療のため高松市内の病院に入院したが、そのころからガンであるとの誤つた確信を抱いて将来を悲観し、自暴自棄的傾向を強め、近所の病院に転医するため右同年三月一九日従前の病院を退院した後、実母Z・E子と前記同居人○木との関係に猜疑心を深め、その心は益々荒み、それにつれ、実母Z・E子に対し「ぶち殺してやる」等と怒鳴り散らすばかりでなく、三畳間の自室の枕元に出刀包丁、金鎚等を備え置き、包丁をもつて同女を追いまわすようになり、ぞの異常ぶりは深化の一途を辿つていた。

他方、少年は、春休みの初日である三月二〇日気持の荒廃した父Z・Mからまたもや肉体関係を強いられて大きな衝撃を受け、春休み中の生活に強い不安をもつとともに、同人を邪魔な存在であると明確に意識するようになり、翌三月二一日から近くの従妹H・K子方に遊びに出掛け二四日まで逗留したのであるが、実母Z・E子に呼び戻され止むなく帰宅したところ、同女が夏野菜の植付をしていることから、同女においては少年の度重なる要請の真因を理解せず当面家を出る意思をもつていないことを知つて絶望的な気持となつていつた。少年の不安は現実となり、三月二六日にも父Z・Mから犯され、同夜少年は、実母Z・E子に泣きすがつて、しかし真実を告げずにただ共に家を出よう、と懇請したが容れられず、少年の精神状態は漸次不安定となつていつたが、翌二七日には高松市で買物をした帰途、とつさに、父Z・Mを苦しめようと考え内臓付のフグ四尾を買求め、少年が調理して同人に与えるなど行動も落着を失うようになつた。そのころには、父Z・Mは、布団に横臥したまま、少年に対して「胃が痛いからさすつてくれ」「そばにおつてくれ」「薄情な女や」等と言つては看病に事寄せて少年を自分の傍に引きつけようとするようになり、少年においては、勉強どころか何事も手につかず、ただ家の中を右住左往しながら時を過すのみで、その精神状態は緊張の度を高めていつた。少年は、三月二八日夜にも実母Z・E子に「父さんが邪魔して勉強ができないから共に家を出よう」と強く懇願したが、同女が相変らず真相を察知しないことから焦燥感をつのらせていつた。同夜は、実母Z・E子においては父Z・Mの言動から身の危険を感じて同人の居室(三畳間)から最も離れた少年の居室に退き、他方少年においては、父Z・Mが少年の名を大声で呼びつづけるため、やむなく同人の居室の南隣りにある四畳半の間で平常着のまま夜を過すこととなつたが、少年は、夜どおし少年を呼ぶ父Z・Mの声に災いされ、ほとんど一睡もできないまま三月二九日の朝を迎えた。少年は、心身の疲労のため朝食をとる意欲もなく、午前七時三〇分ころ実母Z・E子及び同居人○木が出勤した後、父Z・Mの繰り返し呼ぶ声を聞きながら落着かずにいたところ、午前一一時ころ、突然驚くような大声で同人に呼ばれ、深い考えもなく同人の寝ている三畳間に入り同人の傍に座つた途端、引き倒されて従来以上に激しい態度の同人に無理矢理肉体関係を遂げられ、ようやく同人を押しのけて北隣りの土間に逃げこんだが、うつ積した同人に対する憎悪感、教師を目指す少年及び実母Z・E子の将来に対する不安等が一気に爆発して、とつさに殺意を抱いて本件犯行に及んだものである。

二  少年の資質、性行

少年は、知的には普通域にあり、学業成績は概して中ないし中の上に位しており、行動面においても目立つた存在ではなく、逸脱行動もなかつた。

しかし、少年の性格は、内閉的傾向が強く、対人接触も消極的であり、他方、防衛機制も強いため、他人の目を意識して優等生的に振舞おうとし、このため感情を努めて抑圧しようとする傾向がある。

また、これに加えて、少年が重大な危機に直面していたにもかかわらず、爆発的な行動を招来してしまうまで遂に事の真実を友人にも実母Z・E子にも秘しつづけ、実母に対して、父Z・Mが邪魔だから共に家を出ようという単一の要請をただ繰り返すのみであつた点にみられる少年の視野の狭さ、柔軟性に欠け硬直した思考形態が更に大きな負因として考えられる。これらを総じて、少年の社会性は極めて未熟であると言わざるを得ない。

更に、少年は、本件犯行後、凶器である斧を隠し、被害者の血のついた上衣三着を付近にあつた包丁で切り開いて脱がせ、首を締め血のついたストッキング、血に染まつた新聞紙、座布団とともに焼却したのち、被害者を三畳間から北隣りの土間の板の上まで引きずり出しその頭部に晒の腹巻を巻きつける等の後始末をした後、午後一時四五分になつて初めて勤務先の実母Z・E子に電話連絡をとつているのであるが、この一貫した行動は通常の情緒、感覚をもつた一七歳一一ヶ月の少女の行動としては非常に不可解であり、何らかの精神的、性格的変調の疑いなしとしない。

三  少年の本件犯行に対する認識

少年は、事件後の情緒不安定のため現実吟味力が低下している故もあつて、本件犯行については、「これが夢であつて欲しい」という逃避の姿勢で臨み、行為を自分の行つたものとして受け入れ直視する態度に欠け、仮りにこれが現実であると認めるとしても、自分は父Z・Mの異常行動及び実母Z・E子の無理解の犠牲者であるとし、父Z・Mに対する憎悪感を強く意識しつづけることによつて無意識のうちにも行為の合理化をはかろうとする傾向にあり、本件犯行の重大性に対する認識は皮相的で少年の深層心理にまで深まつていない。

また、級友、地域社会の本件に対する受け止め方についても、少年に対して同情的理解を示しているだろうとの認識にとどまり、本件により社会の受けた衝撃の大きさ、社会の厳しい視線等についての認識は甘いと言わざるを得ない。

少年が、終始、家に帰れるとの期待を抱き、元の高校に復学することに大きな関心と強い執着を示しつづけてきたことは、これらの事情を如実に物語つている。

四  処遇

(一)  検察官送致の当否

本件は、その結果において重大であるばかりではなく、犯行態様においても、木割り斧で二回殴打し致命傷を負わせた後、更にストッキングで被害者の首を締めているなど残虐かつ執拗であり、犯行の後少年の前記行動も、興奮状態のもとでなされたとはいえ罪証湮滅行為、偽装工作に通じるもので、大胆である。また、本件の地域社会に与えた衝撃は大きいにもかかわらず少年の罪障感は浅く、これらの諸事情に照らすと、事件を検察官に送致してその刑事責任を完うさせることも十分考慮に値いするところである。

しかしながら、前記の本件犯行にいたつた動機、年齢的には犯行時一七年一一ヶ月でその人格、社会性において未熟であつたこと、及び本件事件の全容が刑事法廷で明らかにされることによつて、少年と被害者との間の高度の秘密性を有する諸事実が狭い地域社会に漏れ伝わり、少年の更生に大きな障礙となる虞れがあること等を考慮すると、本件は、検察官送致よりもむしろ保護処分に馴染む性質のものと考えられる。

(二)  保護処分の選択

少年には、一つの社会資源として、付添人である弁護士から、少年をその自宅に引取つて高校に復学させ更生をはかりたい、との提供がなされている。

しかしながら、既に述べたところから明らかなように、動機において同情されるべき点があるものの、現在の少年には、厳しい自己反省と的確な現実認識を養い、資質上の問題性を解消し、もつて健全な社会適応性を体得させることが肝要であると考えられるところ、今直ちに少年を付添人に託し、従来どおりの高校生活に復させることは、今でさえ自己の行為を合理化しようとする傾向のみられる少年が、級友及び地域社会の表面的な同情の目、並びに自罰意識の強い実母の姿勢に安易に迎合して、本件の重大性に対する深い認識と真摯な罪障感を涵養する機会を失わせる虞れが大であり、また、日常の社会生活の中で、級友、地域社会が決して少年の予想している同情心ばかりではなく、行為結果に対して厳しい視線を向けていることを直に感じるとき、自己の認識が浅ければ浅いほど衝撃は大きく、この圧迫をうけて、不安定な精神状態を更に緊張させることとなり、少年の健全な育成を阻害する虞れが大きいと言わなければならない。

しかして、少年の反省及び現実認識を深めさせるためには、先ず、精神を安定させ、これに専心できる静かで隔離された環境と、専門家によつて少年の深層心理を日常的に観察、分析し、これに対して適切な指導助言を長期的に与えていくことが必須であると考えられる。また、専門家による指導矯正には、少年の殊更強い内閉性、防衛機制及び社会性の欠如などの資質的負因の解消についても大いに期待することができ、また、これが、必要であると考えられる。

従つて、付添人の熱意は相応に評価されるとしても、以上の諸事情並びに家庭裁判所調査官宮村孝作成の少年調査記録及び高松少年鑑別所の鑑別結果通知書において詳細に指摘されている事情を併せ考えると、この際少年を少年院に収容して一貫した専門的矯正教育に委ねることが適切であり(幸い現今の女子少年院の実情に照らすと、密度の濃い指導を期待することができる。)その少年院としては、少年の年齢、非行及び問題性の特質等から、中等少年院が相当であると思料される。よつて、少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項、少年院法第二条第三項を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 安倍嘉人)

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